本間勝交遊録
43人目 杉下茂
憧れの〝フォークの神様〟温かな気遣いの思い出[13.4月号掲載]
 私、本間勝が野球に興味を持ち出した少年時代。地元・中日ドラゴンズのエースが杉下茂さんだった。入団二年目の27勝を皮切りに、28勝。32勝。23勝。32勝。26勝と大活躍。押しも押されもせぬ大黒柱としてチームを支えた。通算成績は、215勝、123敗。ゆったりとした大きなフォーム。上半身と下半身のバランスは抜群。体は理想的にしなっている。腕の振りはしなやかで、柔らかい。速球には力があり、打者の手元でホップする。本格派のピッチャーを夢見る少年(私)には、まさに憧れの人。そういえば高校時代、よく真似をしたものだ。
 その杉下さんが、1964年阪神タイガースのピッチングコーチに就任した。憧れの人が師匠になる。フォークボールの元祖。打撃の神様、川上哲治さんが『キャッチャーが捕れない球が打てるか・・・』と脱帽したと聞く。子供の頃、病弱だった体は、軍隊にかり出された時の強行軍に鍛えられて強くなったと聞いた。なかなかの苦労人は、イメージ通りの人だった。ゆったりしているのは動作だけではない。口調も穏やかでゆっくり喋る。気難しい人ではない。なんでも相談できそうな雰囲気を持った人。『これで、オレも復活できるかも・・・』希望に胸が躍ったことを覚えている。
 タイガース投手陣の中で、私の存在はいまひとつ。1960年の13勝をピークに、故障(痛風)などもあって力は下降気味。そこへ同コーチがきた。私、前の年に結婚をした。家庭を持つ身になった責任感から、大いに踏ん張ってシーズン終盤に5勝をマークした。復活のきざしを見せていただけに、憧れの人のアドバイスに己をかけてみたが力不足。完全復活はならなかった。それでも、その年の大事な試合に先発させてもらった。優勝した年である。しのぎを削っていたチームは大洋(現横浜DeNA)だった。終盤の大洋戦である。川崎球場での26回戦と、負けたら相手の優勝が決まる、甲子園球場での最終戦に先発した。いずれも勝ち星はつかなかったが、チームは勝って優勝に貢献できた。
 いい思い出となる年だった。こんなことがあった。9月20日の26回戦だ。杉下コーチとの間でジョーク交じりの、面白いやり取りをしたことを覚えている。当時のエースだったバッキーで先勝した、ダブルヘッダーの二戦目だ。私は、当然二枚看板の故・村山実さんが先発するものだと決め込んで、のんびり、ブルペンでラーメンを食べていた。そこへ、杉下コーチが、いつものゆっくりとした歩調で、ニコニコ笑いながら近づいてきた。手には真っ新の、ピッチング練習で使用するボールを持っている。
 『おい、本間よー。つぎいくぞ』顔は笑っている。よく冗談を言い合いながら話をすることがあった。だから、てっきりジョークだと思って『また悪い冗談を・・・。本気にしますよ』こっちも笑いながら受け答えしていると、手に持っていた真っ新のボールを『本気にしてくれ』とポイッと投げて手渡された。『こんな大事な試合に、僕が投げるはずがないでしょう。村山さんがいるじゃないですか』どうしても信じられない。ボールを返そうとすると、同コーチ。相変わらずニコニコしながら『いや、村山はいないから・・・』と言う。とんでもない。この日、確かにこの目で村山さんの顔は見ている。まだまだ信じられない。まるで漫才でもやっているかのようなやりとりをしているうちに、杉下さんの口調がいつもほど滑らかでないのに気が付いた。
 村山さんは、家庭の事情で帰阪していた。コーチの立場上、その理由は口止めされていたはずだし、急な出来事である。杉下さんが、あたかも、当たり前のような振る舞いで、先発を告げにきたのは、私が緊張しないための計らいだったに違いない。降板してから『ご苦労さん。ビックリさせてすまなかったなあ』と労をねぎらってくれたが、私も、一応7イニング投げて試合は作った。勝ちゲームでもあった。満足する内容と、こういう大事な試合に先発できたことに感謝した。
 よく声をかけてくれた人。動きも、口調もゆったりした人だったが、意外や、無頓着な一面と、そんな杉下さんとは全く違う杉下さんを見た。シーズンオフのゴルフコンペだった。『今度のゴルフは行くやろう』と問いかけてきたので『ハイ。行きますよ』の返事をすると『オレ、ゴルフズボンを持ってきていないんや。すまんけど貸してくれるか』という。貸すのはいいが、果たしてウエスト等が合うかどうか心配した。取り越し苦労だった。サイズはバッチリ。ラウンドも同じ組。腕前はシングルだと聞いていたが、ビックリしたのは、その腕前より、プレーが半端じゃなく〝せっかち?〟なこと。ボールに近づくや、構えるのが早いか、打つのが早いか―。この表現がピッタリの早業。カメラマンを『打つのが早すぎて、杉下コーチの写真、撮られへんわ』と言わせたほど。いつの間にか打ち終わって歩き出す杉下さん。見慣れた歩調とプレーの差は、いまだに七不思議のひとつだ。
 さて、次回だが、西鉄(現埼玉西武)時代よく声をかけてくれたのは、捕手の故・和田博実さんだった。この人も一度タイガースのユニホームを着ている。
列伝その43
杉下茂

1925年9月17日生まれ。東京都出身。旧制、帝京商業からヂーゼル自動車工業(現いすゞ自動車)に入社後、兵役に。復員後、明治大学へ進み、1949年に中日ドラゴンズに入団。日本プロ野球で初めてフォークボールを本格的に習得し、武器にした。翌年から毎年のように20勝以上を挙げ、初の日本一となった1954年には32勝12敗、防御率1.39という成績で、最多勝、最優秀防御率ほか、MVP、沢村賞と数々のタイトルを獲得した。1958年に引退後、33歳にして監督に就任。その後選手として大毎に移籍後、1961年に二度目の引退。その後も1966年には阪神の監督に就任するなど、数チームで監督、コーチを歴任した。生涯通算成績は、525試合登板215勝123敗、1761奪三振、防御率2.23。1985年に野球殿堂入り。

49人目 三好一彦~ 『虎の穴』の生みの親 [13.10月号掲載]
48人目 猿木忠男~ 虎の歴史とともに歩んだ名物・名トレーナー [13.9月号掲載]
47人目 木戸克彦~  虎一筋三十余年 今を支える苦難の日々 [13.8月号掲載]
46人目 中田良弘~  気さくな『男前』投手との意外な接点(?) [13.7月号掲載]
45人目 江藤愼一~  セ・パを渡り歩いたバットマン 〝闘志〟の裏の優しい笑顔 [13.6月号掲載]
44人目 和田博実~  「野武士」の理論派の意外な一面 [13.5月号掲載]
43人目 杉下茂~ 憧れの〝フォークの神様〟温かな気遣いの思い出 [13.4月号掲載]
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40人目 野村克也 その二~ 虎に浸透させた「野村の考え」 イメージに反して意外な一面も [13.1月号掲載]
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4月号4月号
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