本間勝 1939年5月1日生まれ。愛知県出身。中京商(現中京大中京高)から1958年に阪神タイガースに入団。背番号14。投手として活躍し1960年には13勝を挙げる。1966年、西鉄ライオンズに移籍。翌年に引退。引退後は14年間の新聞記者生活を経て、阪神タイガースの営業、広報担当を歴任。2002年に広報部長を退任。 |
[15.3月号掲載]
最終回 湯舟敏郎・矢野燿大・赤星憲広
まだまだ尽きない交遊録
ご愛読ありがとうございました
『テルッ!ちょっと来い!』星野監督の大きな声がする。『ハイッ!』即座に返事をして、後について歩を進めたのは矢野燿大氏である。首をかしげた。疑問を抱いてその光景を見ていたのは私。どう考えても“テル”という人物はそこにはいない。『……』頭の中の?マークは膨らむばかり。そこである日、本人に聞いてみた。『さあ…。前(中日時代)からのことで、なぜだか僕にもわかりません』とニガ笑いするだけ。疑問は解けないままだが、思い出した。そういえば同氏、改名している。数年前の選手名鑑に目を通してみた。輝弘から燿大に。呼び名は、“あきひろ”にかわりないが、字は大きくかわっている。
どうやら、疑問符はこのあたりにあるようだ。私、経緯を解明するまでには至らなかったが、見ていて面白かったのは、間違いでありながら、お互いが、何の疑いもなく、わかり合っていたこと。両者が真剣に、真面目くさって話し合っている姿を見ると、思わず笑みが……。
捕手・矢野にスポットを当ててみると『自チームのピッチャーから信頼されないといけないのがキャッチャーです。だから、意識して他チームの選手とは、あまり話をしないようにしていました』という厳しい立場があった。他チームに懇意にしている選手がいて、そのバッターによく打たれようものなら、球種を教えているかのように思われてしまうからだ。ここまで気を遣わないといけないのがキャッチャー。物の考え方は真面目。人柄は誠実。現在、同氏はOB会の委員をしているが、何事にもよく気がつく。同委員会では二度の優勝に貢献した久保田が引退すると、OB会からの特別賞の表彰、対巨人OB戦(仙台)出場を推奨。同氏の強い要望があって実現した。一旦弾けると、先頭に立って大ハシャギする一面もあるが、温かさも持った男だ。
大笑いさせてくれたのは赤星憲広氏である。入団一年目(平成十三年)に巻き起こした事件?である。開幕戦(対巨人)のためチームは新幹線で上京した。東京駅での出来事だ。宿舎までは貸切りバスで移動する。各選手は少し離れたところに待機しているバスに乗り込むが、いつまで待ってもあと一人が見当たらない。赤星氏である。どうやら迷子になったらしい。いたしかたなくバスが発車すると、突然、実にタイミングよく出たひと言が『あいつ、JR東日本に勤めていたのに、何で東京駅で迷子になるんや』だった。的を射た発言にバスの中には笑いの渦が…。
宿舎で合流。大失態に平謝りする同氏だが、タイガースとの縁は入団する前からあった。平成十二年。オリンピック強化選手が、プロ野球各チームのキャンプに参加した。その時、赤星氏がやってきたのがタイガースの安芸キャンプ。ダッシュを繰り返す走力に『ウチの選手で勝てるヤツはいないやろう』と惚れ込んだのが野村監督。起用法をゲーム終盤、勝負どころでの代走とまで決めていたほどだったが、何と、誰もが認める努力家『プロのスピードに負けないようにバットを強く振る』力をつけ、一年目からレギュラーに。実働九年間で盗塁王五回、ゴールデングラブ賞六回、打率三割を五度マーク。球界を代表する選手に成長。頸椎を痛めて引退を余儀なくされたが、現役時代からのチャリティー活動は、ユニホームを脱いでからも実行。社会への貢献度は大したもの。謹厳実直、品行方正を絵に描いたような男。欠点といえば高所、閉所の恐怖症とか―。ジェットコースター、観覧車は大の苦手という。
弱肉強食の世界で揉まれながら、実に謙虚な男もいた。ノーヒッター。湯舟敏郎氏である。『僕なんか、アレがなかったら何にも残っていないピッチャーですわあ』本人が語る“アレ”そのものが凄い記録。ノーヒットノーランである。今年で八十周年を迎える阪神で達成した投手は、たったの九名しかいない。なのに、あまりアピールしたがらない。あれは、平成四年、六月十四日、甲子園球場で行われた対広島戦。許した走者は与四球の二人だけ。スタンドは固唾を呑んでマウンドの湯舟に集中した。あと一人。最後のバッターはクセ者・正田。打球は二遊間に飛んだ。打者走者の足は速い。
ドラマが待ち受けていた。間一髪だった。微妙なタイミングだった。当時、試合管理人代行も兼務していた私。場内放送室からその一瞬を注目したが、瞬間『ヤバイ』と見た。湯舟氏本人も『あれはセーフでしょ。僕は今でもセーフだと思っています』とらしい発言をしているが、判定は審判の右手が上がって“アウト”試合は終了した。いまだに世間ではアウトだの、セーフだのと、とやかく言う人はいるが、正真正銘のノーヒットノーランである。『正田も、アウトやったと言ってくれましたけどね』遠慮がちにこう言う同氏。人間性だろう。この世界、自分を前面に出したがる人が多い中、どこまでも謙虚な男である。
その他にもノムさんで死に、故・島野ヘッドコーチの気遣いで生き返った今岡誠氏。黙々と時間をかけて食事をとり、プロとしての体力をつけてエースに成長した井川慶(現オリックス)。挨拶はきっちり欠かした事のない和田豊監督。一日は挨拶ではじまり、挨拶で終わる生活を要求されるこの世界。さすが、大学でキャプテンをしてきた人だ。『交遊録・ホンマでっか?』は今回をもって終了します。ご愛読ありがとうございました。