5人目 真弓明信 その2 292本塁打、そのパワーの原点 [09.8月号掲載] |
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『選手・真弓』=『野球』=パワー。私個人が選手時代の魅力を集約するとこうなる。人気面も男前にパワーが重なっている。分厚い胸板。強力な腕っ節。自然に身につくものではない。その過程には、物事を中途半端にはしない真弓明信がいた。 私がタイガースの広報担当に就任した年のこと。八月の長期ロード中、福岡(平和台球場)に遠征した。そこで、久々にライオンズのコーチをしていた伊藤光四郎氏に会った。伊藤さんは私より二年先輩でタイガースのOBでもある。そのときの話で『ジョー(真弓氏の愛称)はなあ、今でこそパワーを備えているが、入団してきた頃は非力やったんや。だから練習が終わってから、本当、毎日ジムへ連れて行き、しっかりウエートトレーニングをやったんや。当時はまだチームにトレーニング器具などなかったからなあ。でもヘコたれずによう頑張ったよ』と聞かされた。納得した。あの体はかなりのウエートトレーニングを積んでいる。真弓氏のパワーの原点がわかった。 そうだろう。何の苦労もなく、あれだけのパワーがつくはずがない。特に、何事をもとことんやり抜くタイプ。伊藤先輩の話と、同氏の性格を合わせれば、あのパワーはうなずける。凝り性と頑張り屋が合体してついたパワー。タイガースに移籍してから、十三年間連続して二桁ホームランを放った。ファンが求めたのもその長打。一発を期待してライトスタンドの上段では『マユミ、マユミ、ホームラン』を連呼。真弓ファンが右に左に踊りまわる光景は、当時の甲子園名物になったほど。今、監督になって苦しい戦いを余儀なくされているが、あの頃を思い出すと懐かしい。一シーズンの最多ホームランは、1985年、日本一になった年の34本。ちなみに通算ホームラン数はあの伝説の藤村富美男さんや、岡田前監督より多いから凄い。 ゴルフも鍛え上げた。パワーにものをいわせて腕を上げていった。飛ばし屋ジョー。その飛距離は群を抜いていた。ゴルフにはまり込んだのは、もちろんタイガースに移籍してから。素質は申し分ない。持ち前の凝り性が頭を持ち上げる。ラウンドする。スコアが伸びる。興味はますます高まる。その気になってプレーする。すべてがいい方向へ回転した。シーズンオフに行われるゴルフコンペ。満を持して出場。数々の賞品を持ち帰ったという。一時、真弓家の電化製品はほとんどゴルフで手にしたものだったとか。『その通りですよ。当時の給料は安かったし、本当、よう稼がせていただきましたね』本人が言うのだから間違いない。そういえばあの頃、各放送局主催のコンペが目白押し。テレビをはじめ冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ等、高価な商品がずらりと並んでいたものだ。今やハンディキャップはシングル。時にはアンダーパーでラウンドする腕前。ついには、高橋勝成プロのキャディーを買って出るほどのマニア。趣味ゴルフ。やはり魅力はパワーにある。 日本一になった。首位打者に輝いた。サイクル安打も記録した。先頭打者ホームランはセ・リーグの記録保持者。放った安打は1888本。その他オールスター出場九回を誇るなど、申し分ない実績の持ち主は、いまひとつ、凄い選手であることを証明するものがある。三度選出されたベストナイン。遊撃手、二塁手、外野手と同氏がレギュラーとしてプレーしたすべてのポジションで獲得していることだ。同じ守備位置で何回も獲り続けるのも大変だが、私、四十年以上プロ野球界に携わってきたが、どう振り返っても記憶にない。運動神経、身体能力が伴った、真弓氏ならではの離れ業だ。 何度か酒宴の場に同席した。その場の雰囲気は読める男だ。気遣いもできる。口にこそしなかったが、生え抜きの掛布、岡田等にかなり気を遣っていたのが我々にはよくわかった。同氏の人間性が見てとれたが、反面、引退会見と思って広報担当が用意したテーブルの花を『まだ引退しないからいらん』と反発したこともあった。今の監督業にしても、先発投手の投球回数を伸ばし、桜井、林の一人立ちを望む方針は変えようとしない。我々外から見ていても、この方針が確立されなければ先は真っ暗。まわりの雑音に耳を貸すことなく、頑なにやり通すところは頑固者の真弓明信らしい。プロとしての出発点はライオンズ。私も二年お世話になった。次回は怪童・中西太氏にスポットを当ててみる。 |
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●真弓 明信 1953年7月12日生 |