本間勝交遊録
36人目 田淵幸一 そのニ
強運と声援を味方にした 本物の四番打者[12.8月号掲載]
 田淵氏を語るうえで、避けて通れないのが、あの大事故だろう。まだ、プロ入りして二年目だというのに、野球生命まで問われた死球。昭和四十五年、八月二十六日の出来事だった。甲子園球場で行われた対広島19回戦。高校野球の夏の大会が終了した直後のゲーム。夏休み中だった。私の記憶の中には、お子様連れのファンが結構いた。そんな中でのアクシデントだっただけに、余計痛々しく感じた。相手投手は速球派の外木場氏。そのストレートを、まともに左側即頭部に受けた。バッターボックスに倒れたまま動かない。というより動かすと危険な状態。顔からは血の気が引いて真っ青。耳からは出血している。野球生命にかかわる一大事となったが、この人、強運をも持ち合わせていた。
 三カ月の入院を余儀なくされた。実に長い闘病生活だった。頭部の問題だ。決して平坦な道程ではなかった。やはり大問題が浮かび上がった。それは切開手術をするか、否かを迫られたからだ。切開手術をした場合、一般社会人としての復帰は可能でも、野球選手としての活動は無理だというのだ。まだ若い。かなり厳しい判断を迫られた時期はあったが、そこは強運の持ち主。結局メスを入れることなく全快した。おまけに『死球の瞬間を覚えていない』のが田淵氏を助けた。本来なら、これだけ恐ろしい目に会うと、完治しても死球を受けたシーンが甦り、恐怖心で球に向かっていけないものだが、死球の記憶が消えていたおかげで、恐怖心はなかった。まさしく、強運の持ち主である。ちなみに、ヘルメットの耳当てが義務付けられたのは、この後からだった。
 強運といえば、西武に移籍して二度の優勝を経験したこともそうだ。タイガース時代は、あと一歩のところまでいきながら、夢と消えたことはあったが、正真正銘1982、1983年と連続して日本一に輝いた。ユニホームを着ている以上、誰もが、一度は、絶対に経験したいビールかけも大いに楽しんだ。当時のタイガースの選手で、誰だったかちょっと忘れたが『田淵さんが、ビールかけは本当に楽しい。ビールが目に入ると、ピリピリして痛いんだよ。なんて言ってました』と羨ましそうに語っていたことがあったが、やはり、運のいい人だ。
 〝運も実力のうち〟という。努力によって自分で掴み取るものだが、こんなこともあった。1983年、日本一に輝いたことだけにとどまらず、そのシーズンのプロ野球界を大いに盛り上げた人に贈られる〝正力松太郎賞〟の表彰も受けた。強運、プラス、人柄だろうか。そう、人柄といえば、タイガースのコーチとしてユニホームを着た際、私としては、入団時の強引な指名、西武へのトレード時の不手際などを考えた場合、タイガースにあまりいい感情を持っていないのではないかと心配していたが、ありがたいことに、その問題はとりこし苦労に終わった。復帰してきた時の顔は生き生きとしていたし、何のわだかまりもなかった。好人物を証明する復帰だった。
 背番号〝88〟末広がりの縁起のいいユニホームを着ての役割は、自分と同じ存在のバッターを育てることだった。白羽の矢を立てたのは濱中氏(現解説者)だった。打球を遠くへ飛ばす力を持っている。四番を任せられる素材だった。伝授した打法は〝うねり打法〟。濱中氏も懸命に取り組んだ。メキメキ頭角をあらわしてきたが、ここでは何故か、田淵氏の強運は通用しなかった。アクシデントが濱中氏を襲った。右肩脱臼。右翼線を襲った打球を処理して、二塁へ送球したまではよかったが、同氏はその場にうずくまっていた。結局、このケガが致命傷になってしまったが、予想外の出来事に田淵氏の計画も完全に狂った。そこで広島からか根本を補強。翌2003年には、チームをリーグ優勝に導いた。さすがだ。やはり〝何か〟を持っている田淵氏ならではの結果だろう。
 同氏、四番バッターの心得も伝授している。あの、不動の四番に座っていた掛布氏のこんな発言があった。『僕は、田淵さんを見て育ってきましたから』である。掛布氏もマスコミ報道にクレームをつけることは皆無に等しかった。タイガースの四番バッターといえば、チャンスに凡退してその試合に負けようものなら、翌日はかなり厳しい紙面になる。もう容赦はない。まるで悪人扱い。強烈な批判を真面に浴びる。頭にくるだろう。腹も立つだろうが両選手、文句をつけることなく我慢していた。ストレスが溜まったこともあったが、強い精神力で、マスコミに押し潰されることなく四番に君臨してきた。只者ではない。
 『タイガースを我が事のように愛して熱狂する、甲子園のスタンドの大声援に後押しされて打てたホームランは多々あった。あの独特の雰囲気は本当にありがたかったですね。他チームに移籍してプレーしてみて、はじめてわかった』
 まさにタイガースを愛した男。たまに、言うべき事ではない発言が表面に出たりして、物議をかもし出したことはあったが、悪気のない憎めないキャラクター。いまなお楽天でも相変わらずの持ち味を発揮しているに違いない。次回は同氏らとの複数トレードでやってきた、竹之内雅史さんにスポットを当ててみる。
列伝その36
田淵幸一

1946年9月24日、東京都出身。法政一高から法政大に進み、「三羽烏」と言われた山本浩二・富田勝と共に東京六大学リーグで活躍。1968年のドラフト1位でタイガースに入団した。初年度からレギュラーとして活躍し、22本塁打を記録して新人王を受賞。1975年には本塁打王を獲得した他、タイガースに在籍した10年間でベストナインを5回、ダイヤモンドグラブ賞の受賞は2回を数えた。その後、誕生したばかりの西武ライオンズに移籍し、1984年のシーズンを最後に引退。1990年から3年間、ダイエーホークスの監督を務め、2002年からは星野監督に請われて古巣タイガースで、2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルスでコーチを務めている。現役時代の通算成績は1739試合1532安打474本塁打1135打点、打率は.260。

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1人目 藤村富美男 物干し竿で記録と記憶を残した栄光の背番号「10」 [09.1月号掲載]
4月号4月号
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