22人目 川藤幸三 信望集める新OB会長は 球界稀代のムードメーカー[11.2月号掲載] |
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何事にも左右されない男。常に肩で風を切って歩く男。そして、三枚目。言動から想像すると、元クレージーキャッツ・植木等さん(故人)演じる〝無責任男〟がピッタリくる。今回、第七代OB会会長に就任した川藤幸三さんが醸し出す雰囲気だが、私、同会副会長の立場上、身勝手なリーダーを選ぶわけにはいかない。選出の基本はいうまでもない。まわりに気配りのできる人。現役選手をはじめ、若手OBに信望が厚く、誰にでも声がかけられる人材である。数名の候補者をあげ、役員で検討した結果、選出の基本を持ち備えていたのが同氏なのだ。器は大きい。ハッタリが効く。前向きな性格。申し分ないではないか。現役生活十九年、コーチとして一年。タイガース一筋。代打の切り札として活躍した功労者。確かにユニホームを着ている間は、豪放磊落な性格に見せかけ、常に〝ボケ役〟に徹していた。 チームのムードメーカーである。その存在は一服の清涼剤になっていた。川藤語録は数あるが、有名なところでは、博多名物の〝辛子明太子〟が同氏に言わせると〝幸子(さちこ)明太子〟となる。洋酒では、ブランデーの〝カミュー(CAMUS)のエックスオー(XO)〟が〝カマスのペケマル〟となる。これが、ごく自然にすっと出てくるから面白い。普段はこんなオッサン。『カワさん、またやってるよ』―選手の笑いを誘う。こういう話題になるとナインに伝わるのは早い。全員に知れわたるのに時間はかからない。いつの間にか、あっちでも、こっちでも川藤氏の話題でもちっ切り。同氏の意図はムード作り。狙い通りの雰囲気にご満悦だが、声をかけてみると『えっ!何ですか・・・。何かありましたぁ?』と平然としている。 意識してバカになれる男である。十九年、長きにわたる野球生活。山があれば谷もあった。いや、どちらかといえば〝谷〟人生の苦労人。波乱万丈というか、実に珍しい選手といえる。途中、一度ならず、二度までも整理対象選手になったという。二度目のときは私もよく知っている。広報担当としてマスコミとのパイプ役で球団フロントに在籍していた。相手は首を長くして待っているというのに、まあ長かったこと。契約更改交渉は一時間や、二時間では終わらない。話し合いは延々と続いた。『給料はいくらでもいいですから・・・』と懇願、懇願、また懇願。さすがの交渉役、岡崎代表(故人)も『疲れたあ・・・。まいった、まいった』と音を上げたほど。結果はタイガースファンならご存知でしょう。川藤選手の粘り勝ち。というより体力勝ちと言った方が正しいかもしれない。交渉内容と同氏のキャラが見事に噛み合った。翌日のスポーツ紙、なんと〝浪速の春団治〟の活字が躍っていた。 ベンチでも本領?を発揮した。代打男である。ベンチに座っている機会は多い。午後六時に試合は始まる。普段は賑やかな川藤氏だが、何故かこの時間帯はいつも静かだ。二列目の真ん中にどっかと座っている。帽子を目深にかぶって一応グラウンド方向を見ている。物思いにふけっているのかと思いきや、目をつぶっている。そっと隣に座って横っ腹にヒジテツを入れると『えっ!何かありましたあ?』と惚ける。時計にチラッと目をやり『まだ早いやないですか』と再び目をつぶりだす。それでも試合の途中で、監督が選手の交代を告げるものなら、わざと監督に聞こえるような大声で『何でかわるんやあ』代えられた選手に檄を飛ばす。監督批判とも思われかねない発言だが、日頃からボケ約を演じている同氏だから許されるムードつくりのひとつである。そのかわり、己を心得ている。ゲーム展開を見ながら、自分の出番が見えてくると、もうそこらにいない。ベンチ裏の鏡の前で必死の形相でバットを振っている。たっぷり汗をかき、いつ出番がきてもいいように体を動かしている。さすが代打男。用意は怠らない。 こんな演出もやってのけた。ビジターゲーム。試合後帰宿する時のバスの中。勝ち試合のときは、それぞれ選手の話し声がよく聞こえてくる。雰囲気は申し分ない。問題は逆の結果が出た場合だ。バスの中はシーンと静まりかえっている。各選手、責任を感じて反省しているのだろう。暗い、こんなムードの時、川藤氏の出番がやってくる。チームのマネジャーが翌日の予定を車内放送する。食事、ミーティング、球場への出発時間等を説明するわけだが、選手の『ハイッ』の返事で伝達は終わったかと思うと、二~三分後、その予定を必ず聞き直すヤツがいる。声の主はというと、あの選手である。 『すんまへん。明日の予定をもう一度お願いします』―川藤幸三氏である。この時点で、もうバスの中のムードが一変する。『何聞いとんのや―。今、言ったばかりやないか』当然、マネジャーからはお叱りを受けるが『ちょっとよそ事を考えていましたんで』とか『この頭、どうしようもないんですわ』など、その言い訳がまた面白い。『カワさん、またやあ』どっと笑いが起こる。さすがムードメーカー。タイミングが非常にいい。ボケ役の似合う男。チームの危機を何度も救っている。1985年の出来事。リーグ優勝を決めた試合、ベンチを飛び出して一番早くマウンドにかけ寄ったのが川藤氏。チーム一の鈍足男が何故・・・。不思議でならなかった。 『バッターが打った瞬間、飛び出していましたから』試合が成立する前にスタートしていたという。ヤバい行動だが、これまた川藤氏らしいところ。実にユニークな男だが、このまま終わっては同氏に怒られそうだ。次回はちょっと真面目な野球人生を・・・。 |
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●川藤幸三 1949年7月5日生まれ。福井県美浜町出身。右投げ右打ち。県立若狭高時代は1967年春夏に甲子園出場。卒業後、ドラフト9位でタイガースに投手として入団した。ウエスタン・リーグでは盗塁王を獲得するなどして、一軍でも当初は代走などでの器用も多かった。1974年には106試合に出場し、セ・リーグのシーズン最多犠打、チーム最多盗塁を記録。しかしその後は故障に泣かされ、代打家業に。プロ生活19年間をタイガース一筋で過ごし、最終年の1986年には監督推薦でオールスターゲームにも出場した。今年度から、阪神タイガースOB会会長に就任。 |