本間勝交遊録
12人目 山内一弘
名古屋訛りの大阪弁を喋る オールスター男 [10.3月号掲載]
甲子園球場での自主トレーニング。当時(1964年)はまだ、ポストシーズン制度などない。一月であっても初日からユニホームを着て練習した。グラウンドで間近に見る・背番号8・の背中は、私の目には物凄く大きく映った。山内一弘(故人)さん。前年のオフ、小山さんと『世紀のトレード』で関心を集めた大物選手。エースと四番の交換トレードで、タイガースへ。オールスター男のニックネームを持つほどの大試合に強いバッター。大毎(現ロッテ)の四番というより、パ・リーグの顔。オープン戦では対戦したことがあるが、まだ話をしたことはない。同じ愛知県の出身。『まずは挨拶を』と思い、帽子を取って恐る恐る近付いていった。目と目が合った。
 『本間です。よろしくお願いします』
 『オー、本間よ。おみゃあさん(お前さん)確か中商(現中京大中京高)だったよなあ。同県人か…。よろしくな』
 笑顔だった。気さくに声をかけてくれた。ホッとすると同時に、その言葉とイントネーションは、まるで郷里に帰って友人と話をしている感じ。名古屋弁で、本当に気持ちがほぐれたことを今でも憶えている。山(山内)さんの話の中に出てきた『中商』は、当時の私の母校の正式名が、中京商業高等学校。関西では現在と同じ中京と呼ばれていたが、地元では中商で親しまれていた。だからユニホームの胸のマークは『CHUSHO』だっただけに、山さんには凄い親近感を抱いた。もう郷里(隣町の一宮市出身)を離れて十数年たっているというのに、名古屋弁がポンポン出てくるのには驚いた。
 野球で思い出すのは、強烈なプロの洗礼を受けたこと。私がタイガースに入団して二年目のペナントレース終了後。当時盛んだった秋季オープン戦での出来事。確か巨人、西鉄(現西武)、大毎、阪神だったと思う。四チームが帯同して岡山を皮切りに、各地を転々としながら試合をした。我々若手にとっては首脳陣にアピールするチャンスの場。気合を入れてマウンドに上がった。私の登板、何故か大毎戦が多かった。田宮、山内、榎本、葛城等が並ぶ『ミサイル打線』といわれた強力なオーダーが相手。山さんにはバックスクリーンに、ドでかいホームランを打たれるなど、このオープン戦、メッタ打ちにあった。『打たれるのも勉強』とよく言われるが、あまりにもこっぴどい目にあって、自信を失いかけたことを思い出す。
 後日、そのプロの洗礼を受けた話をしてみた。『そうかあ…、オレはあんまり記憶にないけどよお。オープン戦をやったことは何となく憶えているよ。そうかあ、まあ、そんなこともあるよ』無責任に大笑いをしていたが、その時点で相手はすでに一流選手。我々みたいな若造のことなど憶えているはずがない。しかし、私にとっては本当に悔しい思いをした出来事。野球生活を通してこんなに悩んだことはない。特によく打たれた山内、榎本両選手は夢にまで出てきたほど。今こうして振り返ってみると、いろいろなシーンが頭に浮かんでくるが、それでも翌年には一軍デビューを果たすことができた。山さんのお陰?かなー。
 その山さん、タイガース移籍の役目といえば、得点能力に乏しい打線の活性化。さすがだった。31ホーマーを放って、94打点をマーク。見事チームのペナント奪回を支えた。無類の勝負強さは、無死、もしくは一死走者三塁の場面で、何度か、目の前で見せてくれた外野フライが証明している。解説者がよく『この場面は外野フライでいいわけですから』と、いとも簡単に解説しているが、簡単に打てそうで、打てないのが、このケースの外野フライ。ひと味も、ふた味も違っていた。やはり並みの打者ではなかった。二年目には、日本プロ野球界で一番乗りの300号ホーマーを放った。一イニング2ホーマーの離れ業もやってのけた。通算の2271安打は名球会の一員。タイトルは首位打者一回、本塁打王二回、打点王を四回獲得した勝負師。そして、ベストナインには、何と十回選ばれているから凄い。
 残念ながら昨年亡くなられてしまったが、私、同県人だけでなく、誕生日も同じ五月一日。よく声をかけてもらった。一度、一緒に食事をしたことがあったが、この人が面白いのは、大阪弁で喋っていても、イントネーションがどうしても名古屋弁になること。よく喋る人。野球のアドバイスをしだしたら止まらない。別名が『カッパエビセン』─。止められない止まらない、お菓子のコマーシャルに例えたもの。とにかく無類の・野球大好き人間・。タイガースのコーチに就任した時もそうだったし、本当に的を射たニックネームである。
 いかつい顔、がっしりした体。全身からにじみ出ている職人気質。気難しい人かと思いきや、実に気さくなおっちゃん。特にあの、何ともいえない言葉のイントネーションは、いまだ耳の中に残っている。親しみを感じた人。タイガースに四年間在籍して広島へ移った。その山さんの後釜として四番に座ったのが、遠井吾郎(故人)さん。私と同期入団。よく飲みにいきました。

列伝その12
山内一弘
1932年5月1日生まれ。愛知県出身、愛知県立起工業高からノンプロ川島紡績(現カワボウ㈱)へ。1952年に毎日オリオンズ入団。12年間在籍した毎日・大毎ではMVPをはじめ、数々のタイトルを獲得、1964年に移籍した阪神でも勝負強いバッティングでリーグ優勝に大きく貢献した。その後広島に移籍し、1970年に現役引退。実働19年間で通算打率は.295、2271安打を記録、16度出場したオールスターゲームでは3度のMVPに輝いた。引退後は巨人、阪神、オリックス、ヤクルトなどでコーチを歴任。1979年から3年間、1984年から3年間はそれぞれロッテと中日で監督を務めた。さらに1998年から2年間は台湾プロ野球で打撃コーチに就任するなど、晩年まで野球に携わり続け、2002年に野球殿堂入りとなった。2009年2月2日、肝不全のため逝去。
49人目 三好一彦~ 『虎の穴』の生みの親 [13.10月号掲載]
48人目 猿木忠男~ 虎の歴史とともに歩んだ名物・名トレーナー [13.9月号掲載]
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46人目 中田良弘~  気さくな『男前』投手との意外な接点(?) [13.7月号掲載]
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40人目 野村克也 その二~ 虎に浸透させた「野村の考え」 イメージに反して意外な一面も [13.1月号掲載]
40人目 野村克也 その一~ 虎を変えた名将 気の毒な退団劇の顛末 [12.12月号掲載]
39人目 久万俊二郎 ~ 自ら動いてチーム再建に尽力 酸いも甘いも噛み分けた名物オーナー [12.11月号掲載]
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30人目 後藤次男 ~ マイペースでお人好し 愛すべき〝クマさん〟の思い出 [12.1月号掲載]
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26人目 小林繁その2 ~ 「男の美学」 を貫いた生涯 [11.9月号掲載]
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12人目 山内一弘 ~ 名古屋訛りの大阪弁を喋る オールスター男 [10.3月号掲載]
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1人目 藤村富美男 物干し竿で記録と記憶を残した栄光の背番号「10」 [09.1月号掲載]
4月号4月号
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