17人目 岡崎義人 小柄で豪放 人柄が慕われた球団社長 [10.9月号掲載] |
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〝小さな巨人〟正式な身長、体重は定かでないが、現場で選手達と一緒にいると、なおさら小さく見える。ところがである。小柄な身体に似合わず、やることは大胆な人だった。岡崎義人元社長(故人)。野球大好き人間。大学(京大)時代は野球部に在籍。名二塁手として大活躍されたとか・・・。阪神タイガースでは役員として十二年。その間、常務取締役、同球団代表、専務取締役を歴任して、1985年、十月二十一日、取締役球団社長に就任。この年は、中埜肇社長(故人)が不慮の事故に合うなど、多忙な一年だったが、岡崎さん。日本シリーズでは社長として西武と戦い、日本プロ野球界の頂点に立った。 日本一に輝いた。さすが岡崎社長、就任直後の優勝旅行で、早くも太っ腹の本領を発揮してくれた。ハワイへ七泊九日の旅。監督、コーチ、選手はもちろん、我々現場付き職員の奥さんなども旅費は球団持ち。まずはオアフ島で二泊、ハワイ島で三泊。さらに、もう一度オアフ島で二泊して帰途に就いた。宿泊先は、アメリカの大統領が滞在する時に宿泊する豪華ホテル等々。まあ、ここまでは他球団でもあり得ることかもしれないが、一、二軍の監督、コーチ、全選手が参加した優勝旅行は、他チームを含めて過去、現在に至っても一度たりとない。まさしく大盤振舞。その後のタイガース、2003年、2005年と二度の優勝旅行をしているが、二軍の監督、コーチ、選手は不参加。岡崎さんならではの決断である。 何でも言いやすい雰囲気を持った人。よくクレームをつけさせていただいた。どんな話でも、しっかり受け止めてくれた。ベースアップの問題。休みが極端に少ない勤務についても話し合ったことがある。当時は球団代表だったが、『休みが正月休みを含めて、年間十日程しかない。これだけ働いているのに、昇給率があまりにも低い。できましたら、休日出勤した場合、休みを一日につき一万円で買ってください』自分では筋の通った話だと思うが、同代表の返事『何言うとんねん。そんなんで切るはずないやろう』である。素っ気無く聞こえるだろうが、これが岡崎さんの持ち味。性格そのものである。全くいや味の無い口調で、こうはっきり言われてしまうと、何故か納得してしまうから不思議だ。人柄だろう。誰もが親しみを持って接していた。 怒られたことも―。中西現ファーム投手コーチが入団した年のこと。ある日選手中西が合宿所の塀から落ちて額を切った。何針も縫う大ケガをした。練習には出られない。ドラフト一位の選手だ。休んでいることがわかれば、かなりしつこく、いろいろと詮索される。有ること、無いことを報道される。もう目に見えている。各社の紙面が頭に浮かんでくる。私の方から提案してみた。『もし、中西が休んでいることがわかったら、とんでもない紙面になります。それを回避するために、こちらから先手を打って発表しましょう。マスコミという世界。こちらが何かを隠そうとすると、しつこく、どこまでも追いかけてきますが、こちらから先に表面に出せば、意外に軽く受け流すことがありますから』こう説明すると。即座に『何言うてんねん。こういうことは、こちらからわざわざ発表するもんやない。バレた時を想定して、キッチリとした答えを持っていたらいいんや』。給料や休みの件で話をした時の表情とは全く違う。私、一瞬『カチン』ときたが、代表命令だ。従うしかない。 腹の立つことに、この件、全くバレることがなかった。十一年広報担当をしてきた中で、最も不思議な出来事だった。確か、中西は一カ月ほど休んだはずだ。注目度は高い選手。スポーツ紙だけで五紙もある虎番記者の目から、逃れられるはずがないと確信していたのに、いまだに信じられない。半面、表面には出なくてホッとはしたが、複雑な心境だった。もう一度叱責されたことがあった。社長に昇格されてからのこと。私が営業部でファンサービスを担当していた年のこと。本来よりひと足早い十二月に人事異動があった。業務部への配置転換である。 営業部には十一カ月の在籍。まだすべてを掌握していない。自分としては中途半端な移動に思えた。不満を持っていた。岡崎社長、どこかで情報を得てきたのだろう。社長室へお呼びがかかった。ひとこと言えるいいチャンスだ。勇んで社長室へ。『何か不満があるんかあ?』このときも普段の社長とは違っていた。『ハイッ。まだ営業の仕事は把握していません。こんな中途半端な状態で移動するのは納得できません』。ちょっと激しい口調になってしまったが、同社長『そんなことかあ。何を言うとんねん。俺はなあ、君は少しでも現場(チーム)に近いところに置いておくべきだと思って、業務に移したんや。それでも不満あるんかあ』。笑っていた。もう二の句が出ない。頭を下げるしかない。何事も受け止めてくれた人。本当に好感の持てる人でした。 『何言うてんねん』が口グセ。野球大好き人間。ハワイ・マウイ島でキャンプを張ったとき、岡崎さんとキャッチボールをしたことがある。確かに野球経験者の身のこなしをしていた。飲み屋から上司に電話をして管を巻いた豪快な人。小さな巨人。実に楽しい優勝旅行を体験させてくれた。いい思い出を作ってくれた人だが、その優勝旅行に導いてくれた指揮官といえば、吉田義男監督である。 |
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●岡崎義人 1926年5月28日生まれ。大阪府出身。 |