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本間勝交遊録
[13.8月号掲載]
47人目 木戸克彦
虎一筋三十余年 今を支える苦難の日々

 頭の回転は速い。髪の毛はやや薄くなってきたものの、物事を考える頭の切れは相変わらずシャープだ。皆で話をしていても、その場を盛り上げるトークが次から、次へと出てくる。得意のジョークを交えた会話は、実にユニークで面白い。木戸克彦氏を表現するとこうなる。PL学園から法政大学へ。アマ球界のエリートコースを経て、タイガースへ入団。両校とも、最上級生になった年には、キャプテンの大役を仰せつかってチームをまとめてきたリーダー格。仲間同士で話し合いの輪が広がると、いつの間にかその人の輪の中心人物になっている男。現在はユニホームを脱いで『球団本部次長・GM補佐』の肩書きを持ち、チーム作りの一翼を担う活躍をしている。
 木戸氏といえば、私の頭に浮かんでくるのは〝勝浦温泉病院〟である。ドラフト一位で獲得した選手。当然、即戦力の期待大だったが、入団したした年は八試合にしか出場していない。プロとしての力がなかったと思われがちだが、そうではない。スポーツ選手にとって一番大事な身体の中心部となる〝腰痛〟に見舞われた。体が動かない。動かせない。治療に専念する以外に道はない。新人だ。まだ不安でいっぱいの精神状態から抜けきっていない時期の出来事。途方に暮れる中、球団の決断は、和歌山県勝浦温泉病院での治療だった。本人が納得していたかどうかは定かではないが、立場上従わざるを得なかった。球団職員の車で一路、勝浦へ・・・。
 木戸選手の身体は、同病院の広瀬院長に預けられた。待っていたのは厳しい治療とリハビリだった。毎日毎日、同じことの繰り返しだ。一分間体操を中心に患部を鍛える運動が続く。激痛は走るし、疲労困憊。一カ月が経過しても終わりが見えてこない。いつまで続くものか、見当がつかない。だから、気持ちの整理はつかないし、苛立ちは募るばかり。リハビリをする部屋から紀勢本線が見える。そのうち、上り、下りを往き来する電車によって、時間がわかるようになったという。まさしく、集中力の欠如だ。何事もボンヤリとしか考えられなくなっていたに違いない。今では笑顔で当時を振り返っているが、固いベッドがひとつの殺風景な狭い部屋。悶々とした日々が続く。
 リハビリは連日四時間を費やした。あまりの厳しさに『夜逃げでも、してやろうかと思った』ほどだったと、ジョークの好きな木戸氏らしい表現で説明してくれたが、その気持ちにムチを打ってくれたのは、途中から交通事故を起こして入院してきた女性の姿だった。毎日、毎日一分間体操と患部を鍛える治療に黙々と取り組む。若い女性だったという。『一般の人ですよ。一般の女性があれだけ真剣にやっているのに、野球選手である自分は何を考えとんねん。その人を見て、自分が情けなくなった』 己を見詰め直した。気持ちを切りかえ、不満分子追い払ってリハビリに打ち込んだ。
 『正直言って、ホンマにシンドかった。毎日、四時間ですよ。それも三カ月間。あまりに苦しい日が続くし、本当、殴ったろうかとも思いましたよ。でもね、今では感謝しています。あれから腰痛は一度も出ませんでしたから。十四年間現役として野球をやってこれたのは、あの、広瀬院長のおかげだと思っています』
 同氏が独特のジョークを交え、大笑いしながら当時を振り返ってくれたが、入団三年目、チームが日本一に輝いた年には、正捕手の座を掴み取り投手陣を支えた。また、この年は自身最高の年間13ホーマーを放ち、セ・リーグ捕手部門で、ゴールデングラブ賞(当時は「ダイヤモンドグラブ賞」)も獲得した。これも死ぬ思いで耐え抜いたリハビリの〝ご褒美〟だったかもしれない。
 晩年だったかな―。一時はイップスにかかり、近距離への軽い送球がままならなくなったこともあったが、それでも頑張り抜いた。指導者になってからは、いろいろなアイデアを捻出して選手を鍛え、野村監督の突然の退団時には、秋季キャンプのみに終わり、ペナントではその時は実現しなかったが、若くしてヘッドコーチに抜擢された。そして三年間指揮を執ったファームでは、二度ウエスタン・リーグで優勝をした。そういえば、名古屋遠征の時、一度飲食に誘ってくれたことがあった。やはり頭の回転が速い。話題は豊富である。実に楽しいひと時を過ごさせてもらった。
 さて次回、誰にしようか迷ったが、今回の主役、木戸氏の勝浦行きを決断した、猿木忠男元チーフトレーナーに登場してもらおう。
列伝その47
●木戸克彦
1961年2月1日生まれ。大阪府堺市出身。PL学園高校では、主将を務めた三年時(1978年)に夏の甲子園で初優勝を成し遂げた。その後、法政大学に進み、何度もリーグ戦優勝に貢献した。1982年のドラフト1位で阪神タイガースに入団。田淵幸一捕手以来となる背番号「22」を背負い、1985年には正捕手として日本一に輝いた。1996年シーズンを最後に現役を引退。翌年から一軍バッテリーコーチ、2003年からはファーム監督に就任し、二度のリーグ優勝。2009年からは一軍ヘッドコーチとして3年間、真弓タイガースを支えた。

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