[11.3月号掲載]
22人目 川藤幸三 その2
勝負師としての職人、そしてムードメーカー 二人の川藤幸三
突拍子もない事をごく自然にやってのける。演技をしているとは思えないが、抜群のタイミングと味のある言動が不思議でならない。破天荒な男だけに、なおさら疑問を抱く。果たして〝自然〟の行為か〝演技〟か・・・。本心にアタックしてみるチャンスが訪れた。川藤氏が引退を決意した胸の内を話してくれた時である。二人で一杯飲みに行った。ユニホームを脱ぐという。『もういいだろう』疑問を直接ぶつけてみた。『ありがとうございます。そういう見かたをしてくれている人がいるだけで幸せです』やっぱり・・・、まさにムードメーカーだ。十九年間、伊達にメシは食っていなかった。
『カワッ(川藤氏)―。次、行くぞ!』監督から指令が飛ぶ。瞬間、表情がぐっと引き締る。体は動かしていた。準備万端。一点をじっと見詰める。集中力を高めている。勝負師の顔が頭を持ち上げてくる。もう雑念はない。ネクストバッターズサークルで相手投手とのタイミングを計る。場内アナウンスの『ピンチヒッター・川藤』がコールされる。狙い球を絞って打席にはいる。『第一ストライクが勝負』だという。チームの勝敗を分ける大事な場面だ。普段では見られない浪速の春団治がそこにいる。誰あろう、これが本当の川藤幸三なのだ。
タイムリー打を放った。納得のいく仕事をしてのご帰還だ。胸を張って、肩で風を切って勇躍ベンチへ。態度はいつも通りデッカイが、こんな時の選手は、より大きく見える。気分はいい。人懐っこい笑顔が自然にこぼれるが、プロの選手だ。たった一本のヒットで大喜びするわけにはいかない。ごく自然を装おうとするが正直な川藤氏。顔はおのずとほころんでくる。ところが・・・。最悪の三振だったりするものなら、悔しさが爆発する。恐ろしいまでの形相。顔は真っ赤。目は虚ろで、視線は定まらない。しばらくは口を開こうとしない。近寄りがたい雰囲気だ。打席での勝負を振返っているのだろう。真剣そのものだ。代打屋である。一打席にかける気概がひしひしと伝わってくる。あの悔しそうな顔は、いまだ鮮明に覚えているが、その一連の動作の中で、見逃してはならないのが、三振してベンチへ帰ってくる時の姿だ。胸を張っている。肩で風を切っている。いい結果だった時と全く同じにしか見えない。何故・・・。言うまでもない。弱肉強食の世界だ。この先、まだ幾度となく対戦する相手に弱みは見せたくない。負け犬に成り下がっては今後の対戦に影響が出てくる。恰好だけでも強がっていたいのがユニホームを着ている人の真情なのだ。これぞ〝プロ魂〟。川藤氏が十九年間積み重ねた〝野球人生〟の話だ。
大ケガをした。代走、守備固めの男が、走れない、守れない選手になってしまった。野球人生の転機が襲った。代打男のスタートはここから始まった。打つしかない。努力あるのみ。新しくなる前の甲子園球場三塁側室内。試合前の練習をする数時間前である。くる日も、くる日も同氏の姿があった。打って、打って、打ちまくる。その目は鋭い。協力者は選手からフロント入りした職員。本拠地にいる時は連日である。本人は技術が向上し、自分の仕事につながるが、相手は何らプラスになるものはない。それでも、何年も投げ続けてくれた。これ、川藤氏の日頃の行いによる人徳。皆から好かれる男である。
二人の川藤氏―。天真爛漫に見えて、意外に慎重派。マージャンを打っているところを、後ろから見ていたことがある。強気一点張りかと思っていると、おりるべきところでは、ピタッとおりる。傍若無人かと思えば、義理堅い。お世話になった人への心遣いは徹底している。OB会長に就任した時も、主立った先輩諸氏には電話を入れているし、タイガースの坂井信也オーナー、南信男社長にはお会いして、丁寧に挨拶している。また、自由奔放のようで、周りへの気遣いは自然にできる。自分が若い頃、先輩諸氏に外食に連れていってもらったのが楽しかったのだろう。ならばよき習慣は引きつごうと、晩年は川藤氏が若手の面倒を見ていた。楽しいことは独り占めしない。皆で楽しむのが〝川藤流〟である。
川藤氏と毛筆。想像できなかった。『時々お世話になった人に』書くという。本当、ビックリした。一、二度目にしたことがある。巻紙に立派な書体で見事に書き綴られている。確かに、色紙に書かれているサインを見ると、バランスが取れている。野球以上?の素質には頭が下がる。長年の願望も叶えた。なかなか恵まれなかった子宝だが、授かった女の子が双子ちゃん。そのネーミングが実にほのぼのとしている。『ほのかちゃん』と『のどかちゃん』口は悪いが、やさしい一面を持った人間性そのものの命名だ。
プロ魂を持ち続けた十九年間の野球人生。記録より記憶に残る選手。引退してからも、二人の川藤氏がかもし出すギャップが、味のあるキャラクターとして認められ、野球解説者だけに留まらず、ドラマに、歌手に、コマーシャルに活躍。また、身振り、手ぶり、物怖じしないところが外国人にも親しまれ、将棋とか、マージャンを伝授したというから大したもの。その相手とは・・・。誰あろう、あのランディ・バースである。
列伝その22
●川藤幸三
1949年7月5日生まれ。福井県美浜町出身。右投げ右打ち。県立若狭高時代は1967年春夏に甲子園出場。卒業後、ドラフト9位でタイガースに投手として入団した。ウエスタン・リーグでは盗塁王を獲得するなどして、一軍でも当初は代走などでの器用も多かった。1974年には106試合に出場し、セ・リーグのシーズン最多犠打、チーム最多盗塁を記録。しかしその後は故障に泣かされ、代打家業に。プロ生活19年間をタイガース一筋で過ごし、最終年の1986年には監督推薦でオールスターゲームにも出場した。今年度から、阪神タイガースOB会会長に就任。