[10.4月号掲載]
13人目 遠井吾郎
多くの人から慕われた 仏のゴローちゃん
実働二十年―。実に不思議である。遠井吾郎(故人)さん。彼を若い頃からよく知る人であれば、『まさか、こんなに長く』の疑問符をつけたに違いない。ちょっと失礼・・・。とは思ったが、そこは同期の好み。少々のことは許してくれるだろう。何ぶん、一番驚いているのが本人。まわりがビックリするのは当たり前だ。晩年、話の中でよく出てきた。『何でやろ。同期で一番悪いやつが、一番長いこと野球をやっとるなぁ』は、あえて悪ぶってはいたが、ジョークの中には必ず本音が入っていた性格。自分で、よく飲み、よく遊んだことは認めている。体が資本の世界でありながら、いたわるどころか酷使しての現役生活。酒は強かった。当時チームの酒豪五傑の中に、私ともども入っていた。よく飲みに行きました。
飲んでいるうちに、つい時間を忘れて、合宿所の門限を破ったことは何度かあった。一緒に正座をさせられ、一時間以上お説教を食らった仲。若気の至りといったところだが、人呼んで『仏のゴローちゃん』―。穏やかな性格。怒ることはない。実に人がいい。若手の面倒見もいい。先日(二月二十三日)、OB会長として、タイガースの安芸キャンプへ陣中見舞いで訪れた時の田淵氏。会食の席でアルコールの強、弱を聞かれると、『そりゃあ、この道の師匠が遠井さんですから。飲めますよ』とまわりの大爆笑をかっていたが、川藤氏なども『よく飲みに連れてっていただきましたわ』と信望は厚い。多くの人から慕われるのは〝仁徳〟以外の何ものでもないが、野生動物と同じ厳しい弱肉強食の世界。仁徳で生活できるほど甘くはない。ライバルを蹴落としてでも頭角をあらわしていかないと、逆に相手に踏み潰されてしまう。お人好しのゴローちゃん。やはり不思議な選手だ。
練習―。こんなことがあった。夜の素振り。珍しくバットを持って外へ出ていった。と思ったら、三スイングほどして『よし、これで十分』マジな顔をして、さっさと引き上げてきた。決して練習は好きな方ではない。体形はといえば、お腹は出て(入団時はスマート)いる。足は遅い。守備も今ひとつ。なのに二十年も。長い選手生活を振り返ってみると、ゴロちゃんは、この世界で成功するのに最も必要な、他人より秀でた特徴を持っていた。抜群のバッティングセンスである。右に左に球を芯で捕えるバットコントロールの素晴らしいこと。その特徴を支えていたのが、人並み外れた強力な握力だった。バット操作の秘訣は握力なのだ。
物凄い握力を見せつけられたのは、これまた二人の間らしい。グラウンドではない。飲みに行った時のことだった。一時期だけで終わったが、しばらく飲んでいて、少々アルコールが回ってくると始まる。グラスに入っているビールをぐいっと飲み干すと、そのビヤー・グラスを手の中で握りつぶすではないか。丸いコップである。握力はあっても簡単にできる業ではない。とんでもないヤツである。ケガをする危険があるので、やめるように注意しても『大丈夫、大丈夫』と意に介していない。初めて見た時は本当にビックリしたが、あの握力にバットコントロールの原点を見たような気がした。
同期の好みで、つい、遊び人の面ばかりを紹介してしまったが、プロ野球界はそんな生やさしい世界ではない。時々見かけた。手の平、指先を絆創膏だらけにした姿を。素振りでしかできない傷痕だ。バットを相当振り込まないと、一度できた手の平の豆が潰れるはずがない。やはり、人の見ていないところで努力をしていたのだ。こんな時、声をかけてもテレて本当のことは言わない。わざと目を逸らして気を遣わせないようにしていたが、これが〝ホンマもん〟の遠井吾郎である。三割を二度マークした。ベストテンの二位、三位、五位の立派な成績を残した実力者。1966年には、あの巨人・長嶋さんと首位打者争いを演じた。生憎、故障もあって惜しくも二位に甘んじたが、その時の談話『いい思い出やね。でもな、あのスーパースターの長嶋さんと首位争いができただけで、満足ですよ』も、お人好しで、ホンマもんのゴロちゃんである。
野球だけではない。現役引退後開店したスナックが長続きしたのも不思議だ。酒豪にはマッチした〝第二の人生〟ともいえるが、何ぶん無口で口下手。上手が言えない愛想無し。全く客商売に向かない性格なのに。大阪・北新地で十数年。地元・山口へ帰ってからも続けていた。『いやあ、ワシャー、お客さんと一緒に飲んでいただけやから・・・』辛いこともあったと思うが、弱音を吐かないのもゴロちゃんらしいところ。仏のゴロー。ちょっと亡くなるのが早かったが、その一生〝仁徳〟が支えていた。
この遠井氏に輪をかけて無口で、愛想のなかったのが藤井栄治さん。関大から入団。一年目からレギュラーポジションを獲得。1962、1964年、二度のリーグ優勝には欠かせない選手。なかなかの頑固者。これまた同級生。
列伝その13
●遠井吾郎
1939年12月4日生まれ。山口県出身、柳井高校から1957年に阪神タイガース入団。入団時の背番号は「8」。1962年からは現役引退までの16年間、「24」番を背負い続けた。1960年代半ばからタイガースのクリーンアップに座り、四番も務めた。20年間の現役生活の中で、規定打席に到達したのは4回だったが、そのうち3度が打率でリーグベスト10入り。(1966年・2位、1967年・5位、1970年・3位) 通算1919試合出場、1436安打、688打点で生涯打率は.272。137本の本塁打の中には、代打本塁打が10本、サヨナラ本塁打が3本含まれている。記録より記憶に残る選手。その温和な人柄とトレードマークの眼鏡は、決して俊敏とは言い難いグラウンド上の動作と相まって、長年にわたってファンから愛された。